「仲介失敗」と厳しい見方も 首相イラン訪問、各国反応:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/
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FUHBI029.html
6月14日のNHKニュースでさえも、
今回のイラン訪問は新たな中東戦争に・・・と報道されている。
BBCも冷ややかな見方。
「外交の安倍」の最大の失敗になるおそれ。
Japan's Shinzo Abe in Tehran for talks amid US-Iran tensions
https://www.bbc.com/
news/world-asia-48578314
安倍総理に「仲介」(仲裁?)は荷が重かったのでは。外務省はこの時期のイラク訪問に反対しなかったのか。かつてイランーイラク同時訪問でならした父安倍晋太郎氏の中東外交をイメージしたのだろうか。そして、トランプ大統領から預かったとされる親書は受け取ってもらえず?
BBCも冷ややかな見方。
「外交の安倍」の最大の失敗になるおそれ。
Japan's Shinzo Abe in Tehran for talks amid US-Iran tensions
https://www.bbc.com/
news/world-asia-48578314
安倍総理に「仲介」(仲裁?)は荷が重かったのは明か。外務省は反対したのでは。かつてイランーイラク同時訪問でならした父安倍晋太郎氏の中東外交をイメージしたのだろうか?« しのはら孝「2015年 中高国政報告会」のお知らせ | メイン | 政治とカネ―政治家が襟を正し、企業・団
しのはら孝議員ブログ「集団的自衛権シリーズ3 安倍首相は父安倍晋太郎外相の中東外交を学ぶべし -積極的平和主義(自衛隊派遣)より創造的外交(和平外交)を-(15.02.27)今こそ必読だ。
集団的自衛権シリーズ3 安倍首相は父安倍晋太郎外相の中東外交を学ぶべし -積極的平和主義(自衛隊派遣)より創造的外交(和平外交)を- 15.02.27
<イラン経済制裁に参加しなかった日本>
1979年、イランの過激派学生によるアメリカ大使館人質事件が発生した。カーター大統領は軍事力による救出作戦を命ずるも失敗、これがために国民の不興をかい1980年の選挙でレーガンに敗れ1期しか大統領を務められなかった。世界はアメリカの要請によりこぞってイランに経済制裁をしたが、日本は三井グループが大型石油プラント工事を継続し、石油は生命線だとして、イラン(石油の輸入先の15%を占める)から、ただ一国平然と石油を輸入し続けた。アメリカが呆れて激怒することになった。
<巧妙だった安倍晋太郎外相の中東外交>
悪く言えば当時は、日本は国際政治問題、なかんずく軍事問題には疎かったともいえる。よく言えば、日本はベトナム戦争でも動かず、海外に自衛隊を出すことなど考えられない自制のきく国家だった。もちろん中東でもどこでも手を汚しておらず、そこには世界に誇れる平和を希求する古きよき日本の姿があった。戦後の日本が築き上げてきた反戦平和、経済重視、国際協調路線を堅持し、アメリカとも一線を画した外交を展開していたのである。
この後の中東外交で、日本は独自の平和外交を展開し、世界をアッと言わせたのである。時の外相は安倍晋太郎、安倍首相の父君である。我々は今、崩れかけた日本の中東外交を立て直すためにも、安倍晋太郎外交のおさらいしなければならない。
<紛争の種を蒔くアメリカ>
1980年、イラン・イラク戦争が勃発、それが長期化し結局1988年まで続くことになった。この時に前述の事情からアメリカは敵(イラン)の敵イラクを援助したのである。そして他の西側諸国はもちろんソ連もイラク支援で追随した。これがフセイン大統領をのぼせ上らせてしまった。イラクの軍事国化も、もとはといえば、アメリカの武器援助から始まっている。つまり後の、大量破壊兵器というニセの口実によるイラク空爆の種はアメリカ自身が蒔いている。アメリカは世界の警察官の前に紛争(戦争)仕掛け人でもある。
投稿者: しの
続きは・・・
http://www.shinohara21.com/
blog/archives/2015/02
/3_150227_1.html
いまだかつてない思い。
「中東外交」の父安倍晋太郎氏が天国でそう評価するのか。これまでも安倍総理は外交で失敗を重ねてきた。その失敗をあたかも成功のようにメディアは報じてきた。国民は惑わされてきた。今回失敗に終わったならば、世界中に迷惑な話だ。外交の成否はすぐにはわからない。不適切な時期に実力を過信して不適切な場所へ出かけたと感じる。
▼▽▼共生・共走マラソン▽▼▽
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大阪で5月26日に開催された「共生・共走マラソン」について、弁護士ランナーのよしおかさんに寄稿してもらいました。
新緑が眩しい花博記念公園。ゲスト出演の高石ともやさんの軽快なフォークソングが聞こえて来る。僕の横を走っているそうちゃんが、タスキを握ったまま「もう1周走る!」と言った。そうちゃんの脚はまだまだ軽快だ。
知的障がい者の伴走として初めて参加した共生・共走リレーマラソン(http://www.kyousei-marathon.com/ )。この大会は、障がいの有無にかかわらず、夢と希望と共に走ることを目的に、花博記念公園で毎年5月に開催される大会だ。公園内に設置された1周1.2キロの周回コースを午前10時から5時間、チームを組んでタスキをつないで走り続けるもので、障がいの有無や体力に関係なく各々自分のペースで走るイベントであった。当然ながら順位は付かない。
大会の参加資格には「障がい者、健常者、老若男女、赤ちゃんまで誰でも参加できます」とあった。さすがに赤ちゃんは見なかったものの、実に色んなランナーを見た。知的障がい者、視覚障がい者、足こぎ車いす、電動車いす、杖を使って周回する人。全力疾走する若い陸上部系ランナーもいる。共通しているのはみんな楽しそうに走っていることだ。
僕の役割は、所属するチームで知的障がい者ランナーの伴走をすることだった。ランナーの1人そうちゃんは、最近10キロの大会で50分切りを達成したチーム切っての健脚だ。そうちゃんは出だし快調だが、気まぐれに速度が落ちてはまた速度を上げる。この上げ下げについて行くのは走力に自信のある僕でも結構大変だ。
そうちゃんが急に立ち止まって後ろを見るので、何かと思って振り返ると、結び目がほどけたタスキが地面に落ちていた。そうちゃんはタスキを自分で拾えないようだ。僕が代わりに拾って結び目を作り直し渡してあげると、何事もなかったかのように軽快に走り始める。靴の紐もそうちゃんは自分で結べない。ほどけた方の足を差し出してくるので、丁寧に結んであげる。そんなことをしているうちにそうちゃんのことが少しずつ分かってくる。
正午を過ぎた辺りからそうちゃんも疲れたようで、タスキを受け取って200メートルもしないうちに「休憩する!休憩!」と言い出す。ノルマは3周であったが無理をさせないよう1周で止めて給水させた。
そうちゃんと伴走していると、走ることの喜びが少しずつ沸き上がる。胸がときめくような感覚が心地よかった。横にいるそうちゃんも同じことを感じているのか、そんなことを考えながら、共に生き、共に走るということの意味が少し分かったような気がした。あっという間の5時間であった。